2006年 11月 25日
百日紅 (上) 杉浦 日向子 / 筑摩書房 スコア選択: ★★★ It's sercret!の前作「猫は、その眼を月に向けた」では、結婚詐欺師の主人公が白崎で偽名が黒崎であった。脚本担当は執筆の前、ヤングサンデーに連載の「クロサギ」のことはまったく知らなかったという。偶然の一致。シンクロニシティである。ついてないことに「クロサギ」はドラマ化され放送期間が公演と重なってしまった。芝居をやっていると世間から取り残されるといういい例である。 今回の「Tⅰes―八犬伝―」でも同じ現象が起きた。対象がさほど認知されていないであろうこと、もし知っている方がいても逆に隠し味的効果があることから、特に修正はしなかったのだが。 脚本担当から「物語の隠れテーマとして花を使いたい。公演の時期に咲いている花でなにかよいものはないか」と尋ねられたとき私の脳裏に鮮明なイメージが湧いた。百日紅(サルスベリ)の花。仕事のお得意先の工場にそれはそれは見事な百日紅の樹があり、毎年秋になると印象的な赤い花を咲かせている。表記の由来なんかを調べてみるとなかなか使えそうだ。消えない、暮れない、枯れない想いを表す百日の紅の花。 演出から後日「こういう本があるのだが知っているか」と差し出されたのが杉浦日向子の「百日紅」であった。舞台は文化文政期の江戸。主人公は葛飾北斎の娘である。まさにシンクロニシティ。ユング的な。 #
by kelsokelsokelso
| 2006-11-25 10:09
| 本とか映画とか
2006年 11月 23日
26歳の馬琴が師である山東京伝の紹介により手代として働いていた耕書道は吉原、大門のすぐそば。店主の蔦屋重三郎は吉原情報誌「吉原細見」の出版で成功していた。馬琴がその取材をしたのはフィクションだが、いずれにせよ吉原とは深い縁がある。 当時の江戸には「連」と呼ばれるサロンがあちこちで開かれ(それは狂歌の連だったり蘭学の連だったりした)、そこで交流した文化人(画家、文人、歌人)がそれぞれの分野で大きく能力を開花させていった。馬琴も蔦屋の主催する連に参加し、そこで才気あふれる芸術家達と交流することで、感性を磨くのである。 馬琴の物語を脚本化するにあたり、この時代の出来事というかエピソードを是非入れたいなあと考えていた。脚本担当の「花魁を登場させたいのだが」という話を聞いたとき、犬阪毛野胤智と現実の花魁をリンクさせるのがまあ常道だが、ここは是非実際の花魁(馬琴の時代は花魁という呼び方ではなく、呼出といったが)と馬琴との物語をと考えた。当時の一流処の花魁を調べ、蔦屋手代の若き馬琴が取材に行くという設定である。本来手代が取材というのはありえないのだがそれはそれということで。 登場する花魁だが、まあ花魁といえば三浦屋の「高尾太夫」という大名跡がある。落語のモデルになっていたり、今度映画になる安野モヨコの「さくらん」にも登場したり。 特定のイメージが先行するのは望ましくないなあと思い、そこまでベタでなくてでも華やかさのある花魁はおらんものかと探して出てきたのが八代目松葉屋瀬川である。もちろん瀬川だって落語になっている位には有名な名前なのだが、高尾の比ではない。さらに都合のいいことに八代目瀬川については詳細な記録が残っていない。彼女が吉原にいた時期と馬琴が蔦屋手代であった時期はちょっとだけずれるかも知れないが、まあ詳細な記録がないということなのでそこら辺は誤魔化すことにした。 最初の登場シーンは吉原でどんどん名を上げている時の瀬川、二回目は身請け後の悲惨な人生を送った後の瀬川という設定にした。身請け後の花魁は凄惨な人生を歩むことが多かったという。落語「紺屋高尾」は実話を基にした噺だが、その落語的な大団円はこの時代を代表するファンタジーではないかと思うのだ。 Tⅰes―八犬伝―の見所のひとつは瀬川とお百を演ずる役者の衣装だったと思う。短時間で三つの衣装(しかもかなり凝った着物である)を着替えながら舞台に登場するというのは至難の業であったろう。拍手、拍手である。 ちなみに瀬川の着ていた振袖は私の母の知人にお願いしていただいたものである。あらためてここで感謝申し上げるのである。 #
by kelsokelsokelso
| 2006-11-23 02:44
| 本とか映画とか
2006年 11月 20日
書きたがる脳 言語と創造性の科学 アリス・W・フラハティ 吉田 利子 茂木 健一郎 / ランダムハウス講談社 ISBN : 4270001178 スコア選択: ※※※※ なにしろ圧倒的な数の作品数である。膨大な量の読本、黄表紙に加え日記に日々の出来事の仔細を記し、さらには家計の出納までつけていたという。同時期の作家である山東京伝や十返舎一九などの比較をするとその異常な多さが際立つ。 馬琴は日本で最初に文筆業のみで生計を立てた人物である。跡取りである宗伯が病弱でほとんど仕事らしい仕事もできぬまま38歳の若さで早世したことで滝沢家の家計はその後も馬琴が背負わざるを得なくなった。重き荷を背負いて長き路を行くが如き人生。73歳に失明した後も息子の嫁であるお路に口述筆記をさせて執筆を続けた。馬琴の執筆はまさに命を繋ぐ作業であった。 悲壮感を伴うエピソードは枚挙に暇が無いが、はたして馬琴自身がどのような思いで書斎にたれこめていたのかは知る由も無い。個人的には苦痛を伴う作業ではなく、アドレナリンどっぱどぱという感じの状態ではなかったのかなという気がしている。でなければわざわざ家計の足しにはならない帳簿や日記まであれほど多数記すことはなかったのではないか。 ハイパーグラフィアという精神疾患がある。少し前に「書きたがる脳」という本で紹介されていたのだが、とにかく書かずにいられなくなるという病である。その本を読んだときに思い浮かんだのはオーストリアの哲学者であるバートランド・ラッセルであった。彼が当時の不倫相手に一日に何通もの膨大な文字数のラブレターを書いていたというエピソードを思い出したからである。彼の書簡集を見るとその常軌の逸しぶりが分かる。歴史上に名を残す哲学者の例に漏れずラッセルも人としての基本的な部分での欠落が見られる。ハイデガーもそういや教え子と不倫してたなあとかヴィトゲンシュタインは金銭に対する執着が全く無かったとかそんな感じである。 馬琴もあるいはこの疾患の持ち主だったのではないか。常人離れした執筆量をこなした上にさらに日記や家計簿を綴るなどというのは明らかに常軌を逸した行為である。「書淫」と自らを称した馬琴である。書の蒐集とその知の博覧作業は彼にとっては恍惚を伴うものであったのだろう。そして物語を記すという行為、いや文章を書くという行為そのものも止むことができなかったのではと想像する。 今回の芝居「Tⅰes―八犬伝―」は、今わの際の馬琴の走馬灯の中、彼の友人葛飾北斎や息子の宗伯といった縁の人々が八犬伝の登場人物となって物語を織り成す。 我々の描いた滝沢馬琴は観客の方々にどう写ったのだろうか。 #
by kelsokelsokelso
| 2006-11-20 19:48
| 本とか映画とか
2006年 11月 17日
さて、公演1週目、前半戦が終わった。 ほとんど寝てない状態で初日の公演を迎え、ふらふらしながら照明ブースでオペレーション。もちろん他のメンバーはもっと大変なのである。泣き言は云ってられない。 で、本番。超重要なシーンでスポットを外したり、暗転シーンでプロジェクターの明かりがついてて暗転になってなかったり、プロジェクターのコードが外れて画像が出てなかったり、パソコンのビープ音が出てしまったりしたりした以外はとくに問題はなく・・・・。(とほほ) 今回の芝居はそれこそ台本の準備段階からの参加である。ついにここまできたかという感慨は深い。 ここへきて新たな発見というか実感をしたのは演劇は観客がいてこそ成立しうるのだということである。何度も繰り返し稽古した芝居だが、観客がいるというだけでまったく違う印象になるのだ。 これを読んだあなた。是非ご来場下さい。 八犬伝が好きな人 江戸時代やその文化に興味がある人 芝居好きな人 いくばくかの間、憂しと見しこの世を忘れたいと思う人 雨の日の釣り師 すべて 半年前の私に似た人たちのために。 #
by kelsokelsokelso
| 2006-11-17 02:32
| 本とか映画とか
2006年 11月 05日
6月の半ばのことである。劇団をやっている友人からメールが。 「脚本書くの手伝って」 いやいや、私如きにそんな大層な役割は荷が重い。 「前回の芝居を観て、私はこっち(観る側)でいようと思いました」 と返信。 するとすぐさま、 「じゃあ、調べもの手伝って!」 切羽詰った様子の返信。 じゃあ、まあとりあえず資料集めくらいなら・・・・なんて返事をしたのが運のつきであった。 目くるめく演劇の世界にどっぷりである。脚本の資料集めやら時代考証やら舞台装置の手伝いやら照明のオペレーションやら・・・・怒涛の如き半年間であった。ここ最近ブログの更新が劇的に減少したのは書いてる余裕が無かったからである。 で、公演。 タイトルは「Ties-八犬伝ー」 南総里見八犬伝の作者滝沢馬琴とその友人葛飾北斎をめぐる現実の世界と八犬伝の物語の世界を行き来しながら彼らの「まことの絆」を描いた物語。 11月11日(土)12(日)、18(土)19(日)の4日間。土曜は15時からと19時から。日曜は13時からと17時からの1日2公演になります。 このエントリ見たかた是非観にきてください。予約、場所はHPから(ここ)。 #
by kelsokelsokelso
| 2006-11-05 12:26
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