2005年 11月 16日
今朝通勤の車中でラジオを聴いていたら、先日の町田女子高生殺人事件について視聴者のこんな意見を紹介していた。 ―――都会の集合団地で夕方5時半に30分に渡って女性の悲鳴や物音が聞こえていたにもかかわらず、それを耳にした誰もが助けようとしなかったという悲しい事実。まさに現代社会の闇であり、都市生活者の隣人への無関心をこの事件は象徴している。 事件のニュースを読んだ人の多くが同じような思いを抱いたことだろう。もし自分がその隣人であったなら間違いなく何がしかの行動を起こしたはずであると。あるいはもし自分が隣人なら被害者の命を救うことができたかもしれないと。 残念ながらその認識は誤りである。その状況下に置かれた人間はかなりの確率で眼前の事件を無視する。なぜか。例を挙げて説明しよう。 1964年、ニューヨークのクィーンズ独立区でキャサリン・ジェノビーズという二十代後半の女性が、深夜、仕事の帰りに暴漢に襲われて殺害された。事件自体は大都市においてはさして珍しいものではなかったのだが、この事件を調査した警察は驚くべき事実を認識するに至る。被害者は声を出す間もなく殺されたのではなかった。長い間彼女は叫び声を上げ、苦しんでおり、いわば「公の事件」だったのである。加害者は35分の間に3回、路上で逃げ惑う被害者を襲い、ついにそのナイフで助けを求める被害者の声をかき消した。信じられないことに、事件の目撃者である38人の隣人たちはアパートの窓という安全なところから見ているだけで、警察に電話をかけることすらしなかった。この事実は「タイムス」に大きな一面記事として発表され、論争と思索の渦を巻き起こすことになった。当初、隣人の無関心の原因を「巨大都市の社会」や「個人が集団から疎外されること」が都市生活を「非人格化」していることに求める意見が大勢を占めたが、2人の心理学者、ラタネとダーリーがそれに異を唱えた。彼らの説によれば、緊急事態に陥った人に対して、傍観者が援助をする傾向を減少させる「条件」があり、そのすべてが重なったのが原因であるというのだ。その「条件」とは、①他の多くの傍観者の存在②もしかしたら緊急事態でないかも知れないという不確実性という2点で、これが「集合的無知の状態」を引き起こすというのである。 つまり、事件の無関心な傍観者達は他の誰かが助けるだろう、もう助けてしまっただろうと皆が考えてしまっている。あるいはもしかしたら緊急事態ではないという不確実性があり、その手がかりを周囲の他の人々の行動に求めてしまい、それが皆同じく事態を無視しているという状況を生み出してしまう。結果として事件は緊急事態ではないと解釈されてしまうのである。 この二つの「条件」は田舎には少ないのと同時に都会では普通に、当たり前に存在する。つまりこの無関心は都市生活の非人格云々とは関係が無く、都市というシチュエーションに起因するものなのだ。 町田の事件に話を戻そう。この事件がジェノビーズ事件と非常に似通った状況であることがおわかりいただけると思う。同じ団地に住む男性の「親子喧嘩かと思った」という話もまさに集合的無知状態であったことを示している。 私たちがこの2つの事件のような状況に追い込まれることはあるのだろうか。恐ろしいことにその可能性は高いと云わざるを得ない。街中で急に気分が悪くなってその場に座り込んだ自分を想像してみて欲しい。意識が遠くなり誰かに助けを求めたいのだが声が出ない。病院に行きたいが救急車を自分では呼べそうに無い。そんなあなたの横を集合的無知状態の傍観者達は気付かないふりをして通り過ぎるだろう。 このような状況に陥った場合どのように対処すればいいのか。先にあげた2つの「条件」を成立させない様に仕向けるのである。特定の誰かにすがりつく。目の前の人でいい。そうすることによってすがりつかれた誰かはその他大勢ではなくなり、①の条件が成立しなくなる。あるいは明らかに自分が正常な状態でないことをアピールするのだ。座り込むだけでは靴の紐を直していると思われるかも知れない。多少大げさでも倒れこむぐらいのことをすれば、明らかに緊急事態であることが周囲に認められ、②の条件を覆すことができる。 この集合的無知現象に限らず、人間はときに常識では考えられないようなおろかな行動に出ることがある。ただほとんどの場合、それが必然であったことを証明する科学的根拠が存在する。安易な決め付けは禁物である。
by kelsokelsokelso
| 2005-11-16 07:10
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